ひろろぐ

見たり 聴いたり 食べたり 読んだり 乗ったりの記録

3月11日、あれから3年

2011.3.11

3年前のあの日、ぼくはいつも通り会社に出勤していた。

この日は金曜日で、PUMA CUPの準々決勝が代々木であったけど、そのときはフットサルはやるばっかりであまり観にはいってなかった。

午後、お昼を食べたあとの眠い眼をこすりながら会社のホールで講演会を聴いていた。2007年にできたばかりの耐震性の良いビルの1Fだったから、ミシッといやな音をたてて壁が軋んだくらいでそんなに揺れを感じなかった。講師のひとなんか、気づかずにしばらく喋り続けてて、時間差できた停電にキョトンとして笑いを生んだくらいだ。のんきだったな。

しばらく待っても停電が回復せず、誰かが携帯で大きな地震があったことを知り、講演会は中止。職場に戻ることに。自席のあるビルは古い方の建物だったから、こっちはかなり揺れたらしい。電話もメールも不通だったけど、インターネットには繋がってmixiのメッセージで妻と連絡が取れた。SNSってすげぇな、と感動したけど、この時はまだガラケーだっし、TwitterもFacebookもやってなかった。思えば、3年の間にずいぶんライフスタイルも変わったものだ。

誰かのワンセグケータイでお台場が火事になってるのを見て、大変だとは思ったけど、まだまだノンキだった。そのうち、徒歩と車で帰れる者は帰ってよいとなり、花粉症つらいのになぁと思いながら歩いて帰った。会社の近くに住んでてよかった。

それで家に帰って初めてテレビで津波の映像を見た。ノンキに構えてた自分を恥じた。本当に怖ろしかった。そのあとは、時系列まで詳しくいつ何があったかまでは憶えてない。とにかく神奈川に住んでてさえ、生活は一変した。

週が明けても2,3日はまともに仕事もできず、やたらとわかりにくい計画停電のスケジュールを一生懸命解読して友人とシェアしたり、ペットボトル湯たんぽで暖を取って節電に努めたり、ガソリンは満タンにしてあって本当によかったっけなぁー。

あれから3年、電気料金の高さにはびっくりはするけど、普通にエアコンを使ってるし、毎日普通に暮らしている。今日もいつも通り出社して、14時46分には社内放送が入って黙祷をした。あと、会社に献血バスが来てたので献血をした。いつもより混んでる気がした。

恥ずかしながら、ぼくは震災が起きるまで献血したことがなかった。でも被災地で血が足りないと聞いて、ぼくの血が直接東北へ行くわけではないのは分かってたけど、目の前のできることをしたいと思い初めてやってみた。それからは半年ごとに必ずするようになり、献血カードに書かれた回数は6になった。あ、3年経ったんだな、と思った。

あれから3年が経った。変わったことも変わらなかったこともある。今年は、どこか東北の地を訪れてみたいなと思う。

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